「技」 |アルティザン|Artizan
「時計屋」になることが当たり前でした
私は淡路島の出身で、実家は時計店だったんです。 長男でしたから、当然、跡を継ぐつもりでした。それで、当時大阪時計組合で技術講師をされていた師匠のもとに5年ほど住み込んで、いろいろな技術を学びました。当時の時計店は今と違って、修理ができないとだめだったんですよ。 ところが当時、世間はクオーツ時計の全盛期。実家の店は時代に取り残された形で、 経営が厳しくなっていました。せっかく技術を習得したのに実家には十分な壮事がない。だったら、このまま大阪に残って腕時計の修理の仕事をしようと。 独立して個人で下請けを始めたんです。最初は正直、細々としたものでしたよ。
商品だけが売り物じゃない。技術を売ろう
現MV代表取締役の中西と出会った時、私は33歳。 彼は時計学校を卒業し、メーカーの技術者として専門的な工程を任されていました。 彼はバイタリテイーがあり、何よりも営業力があって、技術者にはいないタイプの人間でした。そこで、営業と経営を中西が担い、技術はオレが何とかする――。 そんな将来像を、いつしか私は描き始めていました。
当時はバブル期、輸入時計の販売数が飛躍的に伸びるのに伴い。 メンテナンスのニーズも伸びていた時代でした。代理店だけではとてもカバーしきれないアフターサービスに需要があるんじゃないか。確信はなかったものの、組織的に「技術」を売っていくことに商機があると思い。時計修理専門の会社を創りました。 これが、今のMVの前身です。
機会に挑戦し、技術の高みに上って欲しい
現在、うちの時計師は大阪と東京のアトリエを合わせて全体で40名程が在籍し てます。 中には、私のように時計店の息子や腕時計が好きというジンプルな理由。手に職を つけたいという現実派。大学院で物理の修士課程を修丁してきた者など、背景はそれぞれですが、MVの門を叩いたこれらの者たちを一人前の時計師に育て上げないといけません。 そしてもう一つ、日本における時計師の地位向上のために何かできないか――これが私の使命であると思っています。 取引先メーカーの数、多様な機種、数量がかなり多いことで、あらゆるタイプに対応する技術が身に付きます。だから、うちには若くても経験が豊富な技術者が多い。さらに、彼らには向上心と探究心がある。現在、うちの会社ではいくつかのメーカーのご協力を得て、毎年のようにスイスでの技術研修の機会を作っています。スイスの伝統と最前線の技法に直に触れることができるこの機会に、多くの技術者が挑戦し、公認時計師の資格を収得している。昨年も3名の技術者が、4つのメーカーの公認時計師になったんですよ。他の修理会社ではこういう取り組みをあまり積極的にはやられていないようですが、変化を好まないコンサバティブな業界体質を私たちが発信源となって変えていく、そういう意味ではとても時代的にも善くなりました。
これからの時計師に必要なもの
時計師は、例えば料理人の世界から多くを学べるんじゃないかと思うんです。
日本における料理人の地位は、この十数年でかなり向上しましたよね。それは、料理人の方の努力と自信、そして誇りの賜物です。日本の料理人の創り出す料理は和食に限らず世界的な地位を確立していますし、誰かを「料理人」や「シェフ」と呼ぶとき、人はプロフェッショナルへの尊敬とあこがれの思いを込めるでしょう。日本の時計師も近い将来、世界的にも認知度が上がり、子供たちの将来なりたい職業ランキングに、ランクインするような職業になって欲しい。私たち一人ひとりが地位向上の力、きっかけになりたいと思っています。では、真の「料理人」に大切な要素はなんでしょう。 第1に「継続とあくなき探究心」、第2に「継承した技術にさらに工夫と洗練を加え、発展させる努力」、第3は「国際感覚」、そして「自信と誇り」だと思うんです。これは、時計師も同様です。さらに、料理人の地位を高めた大きな要素として、エンターテインメント性やホスピタリテイー精神も挙げられます。これも、これからの時計師にはマストです。時計師もサービス業なんですよ。技術がありさえすればいい、というのは大きな間違いです。心のこもっていない技術は、正確に時計を動かすかもしれませんが、人の心まで動かせない。最も重要なことが、「思いやり」「協調性」「謙虚さ」など人格であることは、言うまでもありません。
時計技術者は職業ではなく『道』
あるメーカーの技術責任者がスイスから来日し、うちのアトリエで数日間一緒に仕事をする機会がありました。最終日、その技術責任者の方が私のことを「マイスター」と呼んだんです。実は最近、腕時計専門誌の取材をお受けする機会が増えて、 私のことをそう書いてくださることが時々あったのですが、よく意味もわからなかったし、なんだか照れ臭くって、私はその言葉に否定的でした。それで、その意味を尋ねたところ、「アトリエの長や親方というポジションを指す言葉だけど、本質 的には地位を指す言葉ではなく人格の意味合いが強い」。クイアントとの意思の疎通をはかり、アトリエ全体の指揮を取る総合力や人間性、ポテンシャル、後継者を育てる能力が問われる、それが「マイスター」だと教わり、わたしが今までやってきたことが間違いではなかったんだと確信が持てました。常日頃、私が若い技術者たちに伝え続けていることは、「時計師は人格もきちんと していなくてはならないし、逆に一人前の時計師には人格が伴ってくる」。ちょっと大げさかもしれませんが、時計師は職業ではなく「道」であると私は言い続けています。若い人たちにはナンセンス、と思われているかもしれませんが。